時雨月の音 35
35
Masato Rain-
雅紀が好きだ。
それから、同じくらい大嫌いだ。
それは変わらない。
だから、バスルームから出てソファーで雅紀を抱きしめながら聞いた話の結末は
許し難かった。
「それで…兄貴、和を置いて出てきたのか?」
それ以上…言わないでと…
帰ると…
一番絶望を感じただろう和を置いて…
和に
さよならを言わせて?
俺は雅紀の胸ぐらを掴んで拳を振り上げた。
『怖かったんだ…。代わりに…しようとしたって…そう言われたくなかった。和の口からっ!!さっき好きだと思って抱いた奴の口からっ!!そう言われるのが怖かったんだよっ!!』
俺はギリっと唇を噛んで握った拳を震わせながら下ろした。
バッと掴んだ服を離す。
「俺は…遠慮しない。とんだ弱虫だ」
ソファーから立ち上がり、雅紀を見下ろして吐き捨てた。
バカだからマンションを出てから気づいた。
俺、アイツんち知らねぇわ…。
パチンと額を叩いて空を見上げる。
あと数時間もすれば夜明けだ。
俺は溜息を吐き捨てながら、高台を目指した。
こんな日でも無かったら朝陽を見る事なんて無い。
大体が昼夜逆転生活の繰り返しで、明るくなる頃には、飲み過ぎかヤリ過ぎで眠ってしまっているからだ。
そろそろ本格的に寒い日が訪れ始める季節で、湯冷めしまくってる俺は身体を抱いて軽く震えた。
人の気配なんて感じない時間帯。
薄っすら明けていく空に目を細め、やっと特等席のベンチに着いた頃には、軽く汗ばむくらいには身体が温もっていた。
ドサっと両手を後ろに突きながら座り込む。
真正面の空は大人しくゆっくりと映画のように色を変えていく。
「でっけぇプロジェクタースクリーンみたいじゃん」
呟いた瞬間、背後で何かが動く気配がした。
「ぁ…うそ…」
「ほ…んと…じゃね?」
草木の影から顔を出したのはまさかの可愛い子猫ちゃん。
口を手で押さえてビックリしてる。
「…ふふ、マジかぁ…教えといて良かったぁ」
「な…何がだよ…」
俺は茂みに立ち尽くす和にベンチから両手を広げた。
「おいで、子猫ちゃん」
和は耳を真っ赤にしながらゆっくり俺に近づいた。
目の前に来たところを捕まえて、膝に座らせる。
「ちょっ!一人で座れる!」
「いいじゃん。抱っこしたい」
「だっ!抱っこって」
「ほら…うるさく言ってる間に太陽昇ってきたぜ」
俺に抱きかかえられながら目の前の景色に目をやる和。
薄いブラウンの瞳にゆらゆらオレンジの光が混ざって、それを覗き込むように眺める俺は、幸せだった。
心の中に、雅紀を好きだと思う時のような嫌悪感や罪悪感はなかった。
「兄貴と…喧嘩したんだろ?」
「してない…アレは喧嘩じゃないから」
「ふぅん…じゃぁ…さ……和…俺にしなよ…」
和の顎を掴んで視線を合わす。
「フフ…おんなじ顔して、面白い事言うね」
膝に抱いた和がクスクス笑い出すから、ヘラヘラしていた俺は真顔で囁いた。
「俺は代わりで構わない。」
和がピタリと笑うのをやめて強い朝陽の光に照らされて固まる。
「構わないよ」
ヘラッと笑うと、潤んだ瞳から、次々に涙が溢れ出した。
蓋をして…鍵を掛けて…寂しさや苦しみを閉じ込めたつもりだったんだろ?
和、でもそれは違うよ。
表面張力を使ったグラスの水だって、それ以上先はないんだよ。
ダラダラとグラスの縁を濡らしながら、床をびしょ濡れにする。
悲しみの水溜りは深くて暗い。
負の感情を閉じ込めた箱だって…簡単に蓋をこじ開けて、中身を晒す時が来る。
掴んだ顎をグイと引き寄せ唇を塞いだ。
代わりだって何だって構わない。
「好きになって。ゆっくりでいいから…俺を愛して」
和が驚いた顔をして俺を見つめる。
それから、胸元のシャツにすがりつくように掴まると、何度も何度も
キスをしてくれた。